「熱ショック」という言葉に統一された定義は見あたりませんが,ここでは作物にとってストレスと感じられる程度の高温に対する被曝を指すことにします.私たちは当初,作物を高温環境に慣れさせる(高温馴化)ことを目的とし,キュウリを植えたハウスを閉め切って高温にする処理を行っていました.ところが,どういう訳かキュウリに病害が発生しなくなりました.いろいろな状況証拠を検討した結果,熱ショックによってキュウリの病害抵抗性が質的に変化したのではないかと推定しました.ところがハウスを閉め切るという処理は夏しかできず,また,条件を変えたり何回も繰り返すことは困難です.そこで当研究室では,まず,実験方法について検討し,作物の幼苗を温湯に浸漬することで安定的に熱ショック処理を施すことができることを明らかにしました. |
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私たちはキュウリやメロン,イチゴを使い,温湯浸漬法によって強い病害抵抗性を誘導することに成功しました.最適な条件は作物によって異なりますが,低い温度では長時間,高い温度では数十秒という短時間の処理で効果が期待できます.また,病原菌によって効果があるものとないものがあるようです.
写真:上から順に無処理, 30℃, 35℃, 40℃.キュウリの幼苗を温湯に2分間浸漬し,その後灰色かび病菌を接種して2日後に撮影 |
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私たちは植物の葉に含まれるサリチル酸という物質に着目しました.サリチル酸は植物に病害抵抗性を誘導するシグナルとして作用する他,各種ストレスに対する耐性獲得や花芽形成にも関係があるとされています.HPLCやLC-MS/MSを使い,キュウリやメロンで熱ショック処理前後の葉中サリチル酸含量を分析したところ,時間の経過とともに増減することがわかりました.また,サリチル酸によって発現が誘導される病原感染特異的タンパク質(PRタンパク質),例えば,あるペルオキシダーゼの遺伝子発現量を定量PCR法で調べたところ,熱ショック後に発現レベルの上昇が認められました.これらのことから,熱ショックは植物に全身獲得抵抗性を誘導する可能性が示唆されました. 写真はRNAの抽出を行っているA嬢(2009) |
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全身獲得抵抗性は植物が後天的に獲得する免疫の一種です.植物に病原菌が感染すると,体内にサリチル酸が集積し,これがシグナルとなって病害抵抗性が誘導されます.このため,2回目の病原菌の感染時には,1回目とは病原菌の種類や感染部位が異なっても抵抗性を示すことに特徴があります.したがって,葉が2枚あるキュウリの苗の1枚だけに温湯浸漬を行った場合,もう1枚の葉にも病害抵抗性が誘導されます.ただし熱ショックは全身獲得抵抗性だけではなく,他の免疫システムを活性化している可能性もあります. 写真は本研究を国際園芸学会議で報告しているY嬢(リスボン,2010) |
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シソ科のハーブであるタイムは,もともと抗菌活性を持つ精油成分を豊富に含みますが,熱ショック処理を施すことによってさらに精油成分の放出量が増えることがわかりました.どうやら葉に蓄えてある精油が熱で揮発するだけではなく,精油の生合成も促進されるようです.このように熱ショックによる抗菌活性の上昇には様々なメカニズムが相加的または相乗的に作用している可能性が示唆されました. 写真は本研究で卒論発表会で最優秀賞をゲットし写真攻めに遭うE嬢(2013).さらに修士課程で2年間研究を続け,成果はPMPP誌に掲載されました.さらに2018年には特許も取得しました. |
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温湯浸漬法は病害抵抗性誘導の実験における熱ショック付与方法として安定・確実ですが,これを栽培中の作物に行うのは物理的に困難です.そこで,温湯を上から散布するという方法を考案し,特許を取得しました.写真ではM君(2009)がノズルを持ち上げていますが,本当はこのカバーで植物を半密閉状態にして処理するのが温度を低下させないコツです.全身獲得抵抗性が関与しているため,植物の一部分でも有効な処理ができていれば抵抗性が全身的に誘導されますので,植物体全体に均一に処理することをそれほど気にしなくても良いのです.この後,研究がどのように展開していくか,次のHot Strawberry Projectをご覧ください. |
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これまでの研究により,熱ショックによって植物に全身獲得抵抗性が誘導されるだけではなく,何か別の防御反応が並行して起こる可能性が示唆され,そのうちの1つは精油成分の合成促進です.それと関係があるかどうかまだわかりませんが,熱ショックタンパク質や熱ショック転写因子が関与している可能性も明らかにしつつあります.熱ショックが病害抵抗性を誘導するメカニズムには未だ未解明の部分が多いため,調べなければいけないことがまだたくさんあります.一方で,いろいろな形で脚光を浴びてしまうと,ライバルも増えてきます.負けないように頑張って行きたいと思います. |
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